【自分を守る】保守的な考えが薄情者を生むとは限らない。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,400日(2020年10月現在)を突破しました。
僕は5年前にフリーランスデザイナーとして活動を開始しましたが、正直に言えば初年度の年収は100万円あるかないかレベルのものでした。
かといって、今よりも仕事に割いている時間がそれだけ少なかったのと言えばそうではなく、むしろ昔の方が仕事に対しては時間を掛けていたと思います。(今は仕事以外の部分にも時間を割けるようになった)
僕はお金で困った人生を送って来たことから、贅沢をすることもなく、自分の未来のためにせっせと貯金をしていた保守的な人間でした。
この”保守的な考えは一歩間違えれば薄情者になってしまう可能性がある“のですが、ここ1年で、一概にもそれだけとは言えないと思うようになりました。
ということで今回は、「自分を守る」保守的な考えが薄情者を生むとは限らないというお話しをしたいと思います。
一般的な「自分を守る」の価値観。
世間一般的に「自分を守る」といえば、例えば自分だけ利益を得るようにしたり、自分がケガをしないように後ろに引いたり、どこかネガティブな印象を受けるようなことなんですよね。
周りからの印象としては「あの人自分のことしか考えてない」といった感じです。
人のために身体も張らないし、発言に責任も持たない、いわゆる無責任な上司といった感じです。
ただ、そういう風に感じる理由は、「自分のために自分を守っているから」という、その先に続く行動の向きの問題であって、保守的だからということが直接影響しているわけではないんです。
僕の考える「自分を守る」の価値観。
対して、僕が考える「自分を守る」の先に続く行動は「人を守るために自分を守る」ということになるので、同じ保守的でも考え方が真逆なんです。
「人を守るために自分を守るってどういうこと?」と思われる方がいると思いますが、例えば、目の前にお腹を痛めて倒れてる人がいて、たった10m先の病院まで背負っていこうと思った時に、自分が足を骨折していて松葉杖だった場合、助けることは出来ないですよね。
同じように、お腹が空いて泣いてる子供がいる時に、自分にお金がなければパンを買ってあげることも出来ないし、家がなければ泊めてあげることも出来ない。
自分自身が最低限の動きを出来ることが前提として、初めて「人を守る」ということが出来るわけなんです。
そういう意味での「自分を守る」という考え方は、保守的でありながら、その先の行動は慈善的で前衛的な行動であるということなんです。
自己犠牲が過ぎれば後に何も残らない。
よく「人のために生きる」といって、自分を守ることを忘れて、自己犠牲に時間を割き過ぎた人は総じて倒れて来ていると思います。
それは、借金の連帯保証人が分かりやすくて、例えば、自分に100万円の貯金がないのにも関わらず、友達が借りた100万円の連帯保証人になるのはバカですよね。
こんな風に、自分に余力がなくなる可能性のある「人のために生きる」という犠牲は実は破綻していて、その人を助けて続けていくには、まずは自分が守られている状況を作らないといけない訳です。
ダウンタウンの松本人志さんと、元SMAPの中居正広さんが出演していた、名言だらけのドラマ「伝説の教師」にて、松本さんが素敵なセリフを言っていたのでご紹介します。
中途半端な正義は1番の悪なんや
ドラマ : 伝説の教師
人に善の気持ちを持って進めるって素晴らしいことだも思うんですが、守ると決めたら最後を見届ける必要があると思うんですね、
それを「自分に負えなくなったから」と、片足突っ込んでからゴメンなさいは通用しないので、僕は当時から中途半端な正義は1番の悪だと思えたんです。
僕が立ち続けるために必要なこと。
そういう意味で、僕が立ち続ける必要があるのは「僕を信じてくれている人」「僕が守りたいと思う人」が僕の後ろに沢山いるからです。
「僕が立ち続ける」という選択にこだわることは、僕だけの意思ではなく「多くの人の人生を守ること」に繋がるんですね。
僕は「守る」といった以上、とことん最後まで面倒を見る責任感のあるヘンタイなので、この図太さはこれからも徹底していきます。
若いうちや経験が少ないうちは、ここを表面的に捉えてしまいがちなんですが、自分以外の人を守るというパワーを生み出すのに必要な余力は舐められたもんじゃありません。
自分が倒れた時に、大切な人を守れる状況作りももちろん大切なのですが、まずは自分が倒れないような状況を考えることが現実的です。
今、誰かの想いを背負っている人は、「自分が守れているか」を考えてみてください。
自分が守れない人は、永続的に人を守ることなんてできません。
一緒に頑張りましょう。
では、またね。