【我慢が全て悪い訳じゃない】我慢が不満に変わる時はすぐに見切りを付けるべき【我慢の種類】
どうも、コウタです。
以前の僕の自伝的な記事「デザイン知識ゼロだった僕がフリーランスデザイナーとして個人事業主になった理由」でも書いた様に、今と10、20年前を比べれば、ネットが普及し、スマートフォンは一人一台、更には様々なネットツールも登場し、日本だけでなく海外も視野に入れた行動を、誰でも起こすことが出来る時代です。
未だにフリーランスというと、自由で楽なイメージを持たれることは多いですが、僕も会社員の方と変わらず、フリーランスデザイナーとしての我慢もしているつもりです。
最近、SNSでの発信を見ていると。
- 我慢するのは無駄
- 嫌いなことはやめれば良い
- 会社員よりフリーランス
という感じで、「我慢するくらいなら今の現状を捨てて新しいことを始めれば良いし、人に干渉されながら会社に勤務するのが嫌だったら、個人事業主になって一人でやれば良い」という意見を多く目にします。
僕の周りにも会社員の方のほうが多くいますが、口に出す不満が個人でやられている方と違って、少し非建設的な不満を言われることが多い様な気がします。
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう。
あがない(贖い)とは、罪やそれに相当するものの意味を表します。
要するに、人間にとって生きるために仕事をするのではなく、生きる目的を仕事に出来ることならそれほど幸せだろう?と、ロダンは言っていたんですね。
今回は「我慢」と「好きなことをやる」というテーマで、「全ての我慢がダメではなく、我慢を我慢と思わない様にするマインド」をお伝え出来ればと思います。
我慢の捉え方と、全ての我慢が悪い訳じゃない理由。
僕は「ゆとり世代」のちょうど真ん中くらいの年代の人間だと思います。
ただ、そもそもゆとり世代という言葉が出てきて「何それ?」と、あまりピンと来ていな位のも事実です。
時代の変化と共に変わっていく教育の中で我慢の捉えられ方が少しずつ変わって来て、それが今の時代においては「我慢によるメリット」の部分もそぎ落とされた状態で我慢はダメだと主張されているのではないかと思うことがあります。
僕が経験した2つの「我慢」
意味がなく無駄だと思う我慢
誰かの優越感を満たすために、自分が強制される我慢は無駄。
多くの会社員の方が口にする我慢に対する不満は、これに当てはまるのではないでしょうか?
- パワハラや理不尽な仕事の強要
- イジメや社内の人間関係
例えば上司に来客が来て、そのミーティング中で席が外せない時に「お茶入れてくれ」は、全然仕方ないと思います。
その一方で、通常業務中で、自分で時間があるにも関わらず「お茶入れてくれ」は、それこそ「自分で入れて来い」で良いと思うんですよね。
人間だからこそ好き嫌いもあり、仕事に対する熱意も違う。
ですが、そこは会社という組織の中で「同じ熱量で働くこと」が出来ていないと我慢が生まれるんだと思うんですね。
自分はただ一生懸命に仕事がしたいだけなのに…。
と、考えているだけなのにも関わらず、誰かの怠慢や気持ちのギャップから生まれる我慢を強いられる我慢を僕は無駄だと思っています。
そういうった人間関係の干渉を省きたいと思ったことも、フリーランスとして一人でやっている理由の1つでもあります。
意味があり大切だと思う我慢
フリーランスでデザイナーとして活動し始めた時も、ほとんど仕事なんてありませんでした。地道に努力を続けて来たからこそ今があるんですね。
例えばこのブログでもそうです。毎日、一生懸命更新してもすぐには成果は出ません。1日に見てくれる方も数名で、反響だってほとんどありません。
だからってすぐ諦めますか?
この諦めない気持ちは立派な我慢ですよね。この我慢というのは今の時代も確実に必要であると思います。これは仕事もブログだけに限らず、全てに共通して同じことが言えると思います
有名なインフルエンサーの方達が「我慢に対しての極端な例をあげて発信」すると、ワードだけが目立ってしまい、その本質を理解しないままに「我慢すること自体がダメ」と思いこむのは良くない傾向だと思います。
その我慢が今後、あなたの目標達成やスキルアップに繋がるものかどうかを考える。
今の我慢に対して、その時の感情で不満を言っていても仕方ない。
我慢を捉える時には、その先に何が待っているかを考える必要があると思います。そして、その先の対価として今自分がしている我慢が見合っているかを考える方がいいと思います。
ただ、その我慢を経験せずに目標を達成する方法があるのであれば、それも視野に入れる考えを持つことも大切だと思います。
この手の話でよく挙がる寿司職人さんのお話
よく言われるのが、寿司職人さんの現場でお寿司を握れる様になるまでに、「下積みとして何年も包丁は使わせてもらえず卵焼きを作る」とか聞きますが、こういうのは普通に考えれば無駄な我慢ですよね。
避けて通るべきだと思います。
ただ、「この寿司職人さんの元で修行がしたくて、この人にしか教えてもらいたくないんだ」という気持ちがあれば、話は別になって来ます。
受け入れるべき我慢とそうでない我慢は、こういう形で判断していけば良いと思います。
我慢を我慢と思わないようにする為のマインド
自分の好きなことの中であれば、多少の我慢は我慢と思わずに乗り越えることが出来るんです。
その一方で、自分のやりたくないことをやっている中で、理不尽に怒られたりすればその我慢は際立ち、不満は溜まっていきます。
自分が今やっているとは好きなことかどうか見直す。
我慢に対して考える前に、今自分がやっていることが好きなことかどうか考えることから始めましょう。
無責任なことは言えませんが…
給料が30万円の嫌いなことと、給料が10万円の好きなことがあるとして、ひと月10万円で生活出来るとあればどっちを選びますか?
一度きりの人生の中で、大半を占める労働の中で我慢し続けて、消耗する日々を送るくらいなら、少しでも多くの笑顔が作れる環境に身を置くことも1つの幸せなのではないでしょうか?
今自分がしている我慢がどういう我慢かを考えるのと同時に、自分にとっての幸せはなんなのかを見直す機会になれれば幸いです。
では、今回はこれで終わります。