モノクロの人物写真に「僕って、デザイナーって言いますか?」の文字
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僕って、デザイナーって言いますか?

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2026.11.07
2026.11.06

最近、SNSを見ていると「AIで簡単に作れました」っていう言葉をよく目にします。

ホームページもロゴもイラストも写真も、これまで専門的な技術が必要だったものが、誰でも短時間で作れるようになってきました。

それ自体は素晴らしい進歩だと思います。

実際、僕自身もAIを日々の仕事に取り入れているし、その可能性には大きな期待を持っていたりもします。

ただ、どうしても引っかかることがあるんですよね。

「簡単にできる」という言葉です。

今、簡単に生成できるそれらは、これまで人が命がけで積み上げてきたものの上にある。

誰かが長い時間をかけて技術を磨いて、何度も失敗しながら表現を追求し、一つひとつの作品を世の中に残してきた。その積み重ねの賜物だと思います。

もちろん、技術の進歩によって仕事のあり方が変わるのは自然なことだと思うんですが、その膨大な積み重ねがあってこそ、今の技術が存在していると思います。

だから、過去の努力や技術に対する敬意まで失っていいとは思いません。

特に、同じクリエイティブ業界の人たちが、自分たちの仕事の価値をも下げるように、まるで最初から簡単なものだったかのように語ることに、僕は違和感を覚えています。

そもそも、「クリエイターの仕事っていうのは何なんだろう?」っていうことを考えました。

綺麗なものを作ることなのか。技術を使って表現することなのか。

僕は少し違う考え方をしています。

これまで多くのクライアントと仕事をしてきた中で、僕なりに仕事を大きく三つに分類しています。

一つ目は、数字という成果を求める仕事。

売上を伸ばしたいとか、問い合わせを増やしたいとか、認知度を高めたいとか。明確な目的があって、その結果を実現するためにデザインを活用する仕事です。

二つ目は、クライアントと一緒に挑戦する仕事。

新しいことに取り組みたいとか、これまでとは違う表現に挑戦したいとか。

もちろん結果は出したい。でも、たとえ期待した数字が出なかったとしても、お互いが納得して「これで挑戦してみよう」と決めた仕事には、結果だけでは測れない価値があると思っています。

三つ目は、クライアントの理想を叶える仕事。

自分が思い描くものを形にしたいっていうクライアントさんもいて、そこには必ずしも数字や成果が必要なわけではなく、自分が好きだと思えるものができた、自分の思いが形になった、それだけで満足できる人もいたりします。

そして、僕はこの三つの仕事に優劣はないと思っています。

大切なのは、クライアントが何を求めているのかを理解すること。

数字を求めている人に、ただ見た目が美しいものだけを提案しても意味がないし、一緒に挑戦したい人に、失敗しない無難な選択肢だけを提示しても意味がない。

自分の理想を形にしたい人に、無理に自分の我を押し付けても意味がない。

もちろん、僕はクライアントに対してイエスマンではないし、プロとしてより良いと考える提案があれば、必ず伝えるようにはしています。

それがクライアントの希望と違っていたとしても、なぜそう考えるのか、どんなリスクがあるのかも、ちゃんと説明するようにはしています。

ただ、それでもクライアントが自分の理想を選ぶなら、その意思を尊重するのが僕のやるべき仕事だと思っています。

つまり、僕にとって「いい仕事」とは、単に成果の大きさで決まるものではありません。

クライアントが何を求めているのかを見極め、その目的にふさわしい仕事をすること。そして、プロとして最善を尽くした上で、その結果に双方が納得できるということ。

僕はそれが「いい仕事」だと思っています。

でも、こうして考えると少し不思議な気持ちになったりもします。

僕は長年デザインを仕事にしてきましたが、最初から何でも作れたわけではありません。

ホームページを作ってほしいと言われたとき、実は僕にはその技術がなかったりもしました。だから、その願いを叶えるために必死に勉強しました。

写真を撮れないかと聞かれたとき、僕はカメラさえ持っていなくて悔しかった。だからカメラを借りて練習して、やがて自分のカメラを買って、もっと練習しました。

写真が撮れるなら動画も撮れないかと言われた時も、今度は動画も、動画編集も勉強しました。

そうやって少しずつできることを増やしてきました。

でも、それは自分が表現したいものを増やしたかったからではありません。

目の前にいる人が困っていたから。その人の理想を叶えるために、自分にできることを増やしたかっただけなんです。

だから、僕には自分だけのデザインスタイルというものに、今もそれほど強いこだわりもありません。

自分の色を作品に残したいという欲求もなく、僕が表現したいのは、僕自身ではなくクライアントの思いや感情そのものだからだと思っています。

その人が何を求めているのか。何に喜びを感じるのか。何を不安に思っているのか。

クライアントが言葉にできていない本当の願いは何なのか。

そういうものを汲み取って形にする。それが僕の仕事だと思っています。

だから、ある意味で僕はデザイナーではなくてもよかったのかもしれない。

料理人でもよかったし、サービス業でもよかったし、誰かの気持ちを汲み取って、その人に喜んでもらえる仕事なら、きっと何でもよかったんだと思います。

僕がたまたま選んだのがデザインだったというだけです。

そして今、AIという新しい技術が生まれました。

これまで1つのラフ案を作るのに費やしていた時間で、5つのラフ案を検討できるかもしれない。

これまで時間が足りなくてできなかった分析や検証も、もっと深く、時間をかけずにできるかもしれない。

僕にとってAIは、仕事の価値を奪うものというより、仕事の可能性を広げてくれるものだと今は感じています。

だから、これから先、仮に僕より優れたデザインをAIが一瞬で作れるようになったとしても、それだけで自分の仕事がなくなるとは最近は感じないようになりました。

なぜなら、僕の仕事は「ただデザインを作ること」ではないと自負しているからです。

相手の言葉を聞く。その奥にある感情を想像する。何を実現したいのかを一緒に考える。そして、その人にとっての正解を一緒に探す。

それを実現する手段がAIになるのなら、僕は迷わずAIを使うと思うし、今もそういうふうにAIと付き合っていたりします。

ただ、どれだけ便利な技術が生まれても、その先にいる人間の感情までを軽く扱いたくないし、そこで「簡単」という言葉を使うということは、クライアントの思いすらも簡単なものだと言っているような気持ちになったりもします。それだけは絶対に違うと思います。

また、これまで自分が積み重ねてきたものも、先人たちが積み上げてきたものも、決して「簡単」という一言で片づけたくはありません。それだけ、命がけだったからです。

世の中では、AIによってデザイナーの仕事がなくなるのか、なくならないのかという議論が毎日のように繰り返されていて、正直うんざりしています。

僕はそれを横目に、今日も目の前の人の話を聞き、その人のために何ができるのかを考えています。

そもそも、僕にとってデザイナーって、心から尊敬する存在でもあるんですよね。

歴史に名を残した芸術家や建築家、世界的なファッションデザイナー。黄金比や構図、線一本にまでこだわって、長い年月をかけて技術と感性を磨き、それを現代に繋げてきた人たちがいる。

そんな偉大な先人たちまでを「デザイナー」という枠で呼ぶのだとしたら、その世界を知れば知るほどに、自分が同じ「デザイナー」という肩書きを名乗ることさえ、少しためらってしまうくらいです。

それほどまでに、僕にとってデザイナーとは奥深く、いつまでも尊敬すべき存在なんです。

そんな尊敬すべき先人たちが残してきたものを継承した人の価値まで、全て消えてしまうとは思えないんですよね。

そう考えた時に、ふと思います。

そんな僕は、この議論の中で語られているデザイナーの一人なのだろうか…と。

僕って、デザイナーって言いますか?

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer